今日は晴天。
空を見上げると思い出す。
戦争を体験された当時90代の
デイの利用者さん達。
Iさん→
背が低かったから、
前線ではなく軍事工場にいたと教えてくれた。
「あんた達はえらいなぁ。こんな年寄りの世話してさ」
といつも言ってくれた。
デイからの救急搬送で、
帰らぬ人となった。
「119」を押すとき、手が震えた。
救急車が到着するまで、
とても長く感じた。
救急隊員が、
「CPA」=「心肺停止」と言った瞬間を忘れない。
救急車に同乗した時、
AEDで、Iさんの体が浮いた時、
心臓マッサージ蘇生、
挿管の様子は、
目に焼き付いている。
ICUに入ってた時の顔も忘れない。
Nさん→地元の第1号の看護師さん。
戦時中、満洲で軍人さんの手当をされていた。
「あなたが迎えに来たのなら、行くしかないわね」
と諦めてしんどい身体にムチを打って
デイサービスへ来てくれた😔
ご家族から最期の様子が
リアルタイムでLINEで報告あり、
大泣きした事は忘れない。
もっと、もっと一緒に過ごしたかった。
思い出がたくさん。
今でもご家族とは交流している。
Aさん→公務員で3割負担の収入だったのに、
新しいシャツを買わずに、
いつまでもホツレたシャツを手縫いされていた。
戦時中も自分で縫ってたからって😔
入院中、もう私の事は分からなくなっていたが、
Aさんの得意なお習字作品をお見せしたら、
笑ってくれた顔が忘れられない。
介護に抵抗があり、距離を置いていたお嫁さんだったが、
Aさんが亡くなってから、デイから行っていた、
Aさんお気に入りのお寿司屋さんに
食べに行ってくれていた。
ケアマネ曰く、
私たちのデイのおかげで、お嫁さんが変わったと!
Kさん→戦争で、満洲、北海道、あちこち行き、
98歳まで本当に頑張って生きて来られた。
いつも一緒に軍歌歌った。
私もたくさん軍歌覚えたよ。
最期はコロナウィルスに侵された。
「最期はコロナ?」
胸が張り裂けそう、ってこうゆう事?
って思った出来事。
いつもこの4人の方に、
なぜか、
見守られている気がする。
「温か〜い人」って、この方達のような人。
思い出すと、涙が止まらない。
頑張らないと、ね!
いつも見守ってくれていて、
ありがとう✨
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