徘徊というものを知る
私が研修をしていたデイサービスは、今振り返ると中重度の認知症の方が多く利用をされていました。
当時は「認知症」という病気がどういうものであるか、全く知らないまま介助をしていました。
ある日、職員と散歩から帰った女性利用者が、玄関まで戻ったのですが、また振り返って外へ出ていってしまいました。あわてて私も追いかけると、さっきまでの表情とは全く違い、険しい顔をされていました。腕をつかもうとすると、「近寄るな!」と。いつもはヨボヨボ歩いている方が、スタスタと歩いているではありませんか! (@ ̄□ ̄@;)
刺激しないように後を追いますが、車が多く行き交う道路の歩道を歩いており、早く確保しないと大変危険です。また近寄りますが、「来るな~!」と叫ばれています。かなりの距離を歩く事を想定し、もう一人の職員は車を取りに行きました。
私一人、刺激しないよう、「転ばないで」「道路に出ないで」と祈りながら後を追いました。これはもう、疲れるのを待つしかない。険しい顔でスタスタと歩く女性利用者と、少し離れて追いかける私
「よその人はどう思っているだろう」 そんな事を気にしながら後を追いました。
やっと、歩く速度が遅くなり、疲れた様子になってきました。30分くらい?85歳の女性が30分スタスタと歩いたら、さすがに疲れるでしょう。表情も険しさがなくなりつつあるのを確認をし、やっと腕を組む事が出来ました。
「座りましょう。喉が渇いたでしょ?私のうち、すぐそこだから何か冷たいものでも飲みませんか?」
と声をかけると素直に応じてくださいました。ヤレヤレ~😿
この女性は私の初夜勤の時に真夜中に「キェー!」と叫んだ方です。普段はとてもホンワカとしたお顔で、全く問題がない方です。
その後、またお泊りの時に、険しくなり、「警察を呼ぶぞ!近寄るな!玄関はどこだ!」と豹変されていました。2時間くらいその不穏(穏やかではない様子)に付き合うと、表情が和らいできました。それらの出来事から、認知症の方の不穏はずっと続くものではないとわかりました。豹変している時は説得する事は意味のない事だと思い、ただただ、時間との勝負で、見守るしかないと思いました。
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